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和歌山地方裁判所 昭和29年(ワ)215号 判決 1957年2月18日

原告

川端真佐宏

被告

後藤時一

主文

一、被告は原告に対し金二十四万四千八百三円及之に対する昭和二十九年六月二十六日以降完済に至る迄年五分の割合による金員を附加して支払え。

二、訴訟費用の被告の負担とする。

三、原告その余の請求は之を棄却する。

四、本判決は第一項に限り原告に於て金八万円の担保を供託するときは仮に執行することが出来る。

事実

(省略)

理由

一、先づ本件事故が被告の過失に基くものであるかどうかについて判断する。

成立に争いのない甲第二号証乃至第十号証、証人新家秀雄、同川村雅一、同尾崎行雄、同石田昭三並原告被告各本人の供述を綜合すると、昭和二十八年十一月三十日午前九時三十分頃被告は和歌山市和歌浦より自動三輪車和第六―九八〇七号に青森産りんごを積載し海南市に至る途中和歌山市和歌浦外浜の略東西に通ずる電車道路を時速十五キロ乃至二十キロ位で東進していたが、同所は道路幅員約二十二米、中央部に上下二条の電車軌道がありその両側は車道となつているので自動車運転者としては交通法規に従い左側即北側車道を進行すべきであるのに、当時北側はまだ舖装されて居らずバラスが敷いてあつたため、胃の悪い被告は車の動揺を恐れて右側即南側の舖装道路へ出で車道の中央部を進行したのであるが、同所は直線で見透しは充分な場所で車馬等の発見容易であるに拘らず、南側車道を西進してくるトラツクを約九米前方に接近して始めて発見し直ちに速力を時速五粁位にゆるめハンドルを右に切り道路南端に寄つて同所和歌浦三十一号電柱の手前附近にてトラツクの向つて右側を通過して之と離合したものであるが、この場合被告は右側を通行しているのであるし、トラツクに追従して来る車の有無をたしかめた上前進しなければならないのに、右トラツクと離合するや直ちにハンドルを左に切り速力を増し乍ら南側車道中央に出ようとしたところ、トラツクの後について西進して来た原告操縦の軽自動二輪車の前部バンバー及原告の左足の部分に、自己の車体左側を激突せしめそのため原告は車諸共その場に転倒したが、被告は通り合せた尾崎行雄と共に原告を尾崎の車に乗せて同市和歌浦九九四番地医師山口春海方に運び応急手当を加へたのち原告は医大病院へ入院手当を受けたのであるが、右事故のため原告は左膝蓋骨解放性骨折による治療三ケ月を要する傷害を受けたことを認めることが出来る右認定に反する被告本人の供述部分は措信しない。

右認定のように、被告は当時胃病を患つていたので道路の悪い北側を避けたことは同情すべき点もあるが、敢て南側である右側通行をしたからには尚更前方から来る車と離合接触する機会が多いわけであるから、通常以上に注意を払わなければならないのに、右述べたように、トラツクと離合するや追従する車の有無を確かめず直ちにハンドルを左に切つて道路中央へ出ようとして速力を増して前進した事については被告は過失を免れず、このため原告の車と接触して前記のような傷害を負はせたのである。

二、そこで被告の、過失相殺の抗弁について判断するに、

(一)  原告は右抗弁を時機に遅れたものとして排斥すべきであるというけれ共、このため訴訟の進行及完結が遅延すべきものとは考えられないから、被告の抗弁は却下しない。

(二)  この点について成立に争いのない甲第二号証、甲第八号証、甲第九号証、第十号証並証人尾崎行雄、同石田昭三、同川村雅一の各供述の結果を綜合すると、

原告が尾崎行雄のオート三輪車を追越して西進していたときはトラツクの後方三十米位で速力は時速三十五粁位であつたが事故の起つた瞬間は、原告の車はトラツク後方五米位で速力は約時速五キロに落していたこと、和歌山市内に於ける軽自動二輪車の制限速度は時速二十五キロであること、先行のトラツクは幅員二、二二米、被告の操縦する三輪車の幅員一、五米、南側車道の幅員五、二米であることが認められる。右認定に反する甲第九号証(原告本人の供述調書)の一部は措信しない、そうすると、原告が尾崎行雄の操縦するオート三輪車を追越したとき時速約三十五粁にて、先行のトラツクの約三十米手前であつたが追越して行先するトラツクを認め速力を減じ約五米に追付いたとき時速約五キロとなつたが、先行するトラツクに追従するには交通の安全を確保するため必要な距離を保たなければならないとする道路交通取締法施行令第二十二条の法意にはやゝ違反すると考えられないこともないが、この原告の交通法規違反の過失が本件事故の発生原因に直接関係があるかどうかを考えて見るに、事故発生現場である南側車道の幅員は五、二米であるのに、幅員二、二米余のトラツクが先行しこれと離合した被告のオート三輪車の幅員が一、五米であり、当所にあつた電柱が道路南端より約一米五〇北にあつたことから見てトラツクの通過後若し追従車があつた場合、被告が道路の中央に割り込んで、追従車と接触することなしに通過出来る可能性は殆んど無いと見なければならない而して、こゝで考えなければならないことは、被告は当時北側(左側)に通行車道があるに拘らず敢て南側(右側)を進行していたことである。左側通行は車輛運行の安全を図る大前提を為すものであつて、この前提を冒して通行している被告が直線にて見透しの良く利く所であるにかかわらず、追従車の有無を確認せずに道路中央へ車を前進させたことは、たとへ原告が先行車との間に適当な距離を保つていなかつたとしても、本件事故の発生の責任原因に影響を及ぼすべき過失と認めるわけにはいかない。

依つてこの点に関する被告の抗弁には理由がない。

三、次に原告の蒙つた損害額について判断をする、

(一)  本件事故により原告の蒙つた身体傷害の部位程度については前記認定の通りであるが、証人川端太一郎の証言により真正に成立したものと認める甲第十二号証の一乃至七、証人阿部ハツの証言により真正に成立したものと認める甲第十四号証、証人阿部ハツの証言により真正に成立したものと認める甲第十三号証の一乃至三及証人川端太一郎、同阿部ハツ、同石関ノブ子の各証言を綜合すると、この傷害により原告が和歌山県立医科大学附属病院に入院治療を受けた期間は、昭和二十八年十一月三十日より昭和二十九年一月三十日迄であつてその間の入院費用合計四万六百六十二円、附添婦阿部ハツ及石関ノブ子等に支払つた附添看護料合計一万六千四百三十一円、総計五万七千九十三円となる、この他原告は係医師に対する謝礼費用五千七百四十円、通院並入院退院の際使用した費用二千円を計上しているけれ共この点に関する証人川端太一郎の証言、その他原告の立証は措信しない。

(二)  次に本件事故によつて蒙つた原告操縦の軽自動車の損傷による修繕費については、証人出島辰次郎の証言により真正に成立したものと認める甲第十六号証、成立に争いのない甲第三号証、証人出島辰次郎の証言の結果を綜合すると、その費用は金二万一千二百十円を要したものであることが認められる。

(三)  原告が本件事故による傷害によりパン製造業を継続することが出来ないため、職人を雇入れて営業を継続したために生じた費用として土山外二名の職人に対する給料については証人川端太一郎の証言により土山は日給四百五十円、星田及沢田各二百五十円にて、昭和二十八年十二月三日より昭和二十九年二月十日迄七十日間合計六万六千五百円の支出を生じたことを認めることが出来るが、この間得べかりし利益一日四百円なりとの原告主張に対する右証人の証言は容易に措信し難いから採用しない。

(四)  次に慰藉料の点について判断するに、

証人川端太一郎、同川端ミサラ、原告本人の各供述を綜合すると、原告は当時二十二歳で両親と共に肩書居住地にてパンの製造販売業を営み生計を立てゝいるものであるが、本件事故の傷害により約二ケ月間入院し、その後も通院治療を受け現在に於てはほゞ以前の活動に差支えない程度に回復しているが未だ正座することは困難な状況であること、又被告本人の供述によると被告は当時四十三歳にして海南青果物協同組合の理事長をして居り本件事故発生当時原告を附近の山口病院に担ぎ込んで応急手当を受けさせたが、その後一回原告入院中見舞に行つたのみで、見舞金その他の慰謝方法を講じていないことなど認めることが出来その他諸般の事情斟酌すると、原告の蒙つた傷害に対する慰謝料の額は金十万円を以て相当と認められる。

依つて、被告は原告に対し右損害金並慰謝料合計二十四万四千八百三円の支払義務があり、之に対する本訴状送達の翌日である昭和二十九年六月二十六日以降完済に至る迄年五分の割合の遅延損害金の支払を求むる原告の請求は右の金額の範囲内に於て正当であるから之を認容、その余の請求を棄却することゝし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八十九条、仮執行の宣言につき同法第百九十六条を夫々適用して主文の通り判決する。

(裁判官 山田常雄)

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